ブスも美人も死ねば土

美人もブスもリア充もサブカルも、推してるあの娘が死んだって、等しく土になるんです

脱皮する少女について想うこと

「みぞかちゃんの脱皮」に寄せて

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はじめに。

1月31日、サラヴァ東京で行われた「ピンクに死ね!!presentsちんまい光卒業式」というイベント内で、緊縛人形劇「みぞかちゃんの脱皮」を上演いたしました。

緊縛人形劇「みぞかちゃんの脱皮」は、緊縛師の有末剛先生と現代美術家真珠子さんの異色コラボ作品として生まれました。

女体のエロスを追求する緊縛と、正反対のガーリーな世界を、演劇を介して融合させるという趣向のもと、わたくしが物語を書かせていただきました。

このブログでは、敢えて、イベントのレポート等ではなく、物語に焦点をあてて、作品のテーマについてお話をさせていただきます。

今回の上演台本をnoteにアップいたしました、↓↓こちらからご覧いただけます。


これから、物語の中身について触れていきますので、ぜひ、上演台本をご覧いただいてから、今回のブログをお読みくださいませ。

(緊縛や唄のパフォーマンス含め上演時間30分程度、サクッと読める長さです)

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(写真の撮影者は、緊縛の妖精役の緊縛モデル吉乃蕾さんです)

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緊縛人形劇「みぞかちゃんの脱皮」

〜脱皮する少女について思うこと〜



この物語は、『少女が女になる』と『早熟と遅咲きの葛藤』、がテーマでした。

まず、一つ目のテーマ。

『少女が女になる』

わたくしは、これについて、初潮をむかえる、或いは、処女を失うという具体的な変化と、大人の女として振る舞うことを覚えるという抽象的な変化、二つのことを思い浮かべました。

物語の中で「アレ」として隠喩しているものは、初潮であり処女喪失であり、また、大人の女の価値を理解した瞬間でもあります。

おそらくは、お客様が一番多く具体的に思い浮かべたのは初潮ではないかと思いますし、そのように作りました。

(同じイベントの他の演目とまさかの初潮かぶりをしていたのはびっくりでした……)

物語の中で、みぞかちゃんは、ただ「アレ」がきただけで、同い年の女の子達がいっぱしのおねえさんのように振る舞うことに怒っています。

わたくしは、体も心も成長が周りの女の子達より一歩も二歩も出遅れているタイプだったので、みぞかちゃんのこの気持ちはとても身につまされました。

物語を書き進めながら、初潮を早くむかえたりセックスを早く知った女の子はあきらかに大人びていて、わたくしを含めた何も知らない女の子達に優越感を持っていたこと、そして、それを肌で感じとっていたことを、皮膚感覚として思い出しました。

初潮やセックスの仕組みは、保健体育的な知識としては理解していても、自分にそれがおとずれないことには、どういうことか想像もつかないので、『体から一週間くらいずっと血が出ている』『スイカを鼻から入れるより痛い』ということを既に経験として知っている子には、どこか畏れに近い気持ちを抱いていました。

また、童貞は『捨てる』処女は『喪失する』という言葉が用いられるだけあって、大人の女になるということは少女を喪失する行為なのだと思っています。

それまでは、少女漫画のようだった恋愛が生々しい行為を伴うようになり、清廉潔白だった恋人が性欲に支配されているところを目の当たりにします。

愛するということが、キッチュで可愛らしいおままごとではなくなってしまうのです。

また、抽象的な変化として、自分が、性の対象や社会的立場で「女」として扱われることを受け入れるのも、少女の喪失と言えます。

例えば、人間関係を円滑にするためや自分の今後の展望のために、女として見られることがメリットになるよう振る舞うことを覚えた、或いは割り切った瞬間のような。

物語の中でりぼんちゃんは、みぞかちゃんの"なりたい自分になれたのか"という問いに、こう答えます。

アタシは、ちょっぴり……ううん、けっこう悲しいことがあって、でも、その代わり、なりたいわたしになれたわ・・・でもね、女の子じゃなくなっちゃった。 

大人の女の秘密を知ってしまったら、もう少女ではなくなってしまうのです。

わたくしは、物語の中で一番この台詞が好きです。

好きなものを手に入れるためには、なりたいものになるためには、代償が必要で、りぼんちゃんの場合は、それが少女の喪失だったのです。

二つ目のテーマ。

『早熟と遅咲きの葛藤』

これから先、もしかして、わたくしがなれるとしたら遅咲きなので、えこひいきですが、わたくしはりぼんちゃん推しです。

実は、この物語は少しややこしい仕組みで作っていて。

『少女が女になる』という意味合いでは、みぞかちゃんが少女でりぼんちゃんは女、ある意味みぞかちゃんが後行ですが、逆に、『早熟と遅咲き』という意味合いでは、みぞかちゃんが早熟でりぼんちゃんが遅咲きなのです。

みぞかちゃんはまだ少女なのに自分ひとりで染め物屋さんをやっていて、りぼんちゃんは他の女の子達よりずっと長くアレの期間があって、ようやく村に戻ったばかりです。

こちらのテーマの「アレ」というのは、知識や技術を蓄える期間であり、まだ外の世界からの評価を得ていない状態、いわばサナギです。

フリーランスの仕事に例えるなら、みぞかちゃんは下積みの経験もなくバンバン依頼がきて忙しく、りぼんちゃんは長い下積みを経てやっとチャンスに巡り会えたばかりです。

みぞかちゃんはお店の外まで聞こえる大きな声で渡り鳥と喧嘩をしたり、自分の実績を無邪気に自慢をしたりして、りぼんちゃんはそのことをたしなめます。

仕事をする姿勢として、極端に言えば、早熟タイプのみぞかちゃんは天真爛漫だけれど不遜、遅咲きタイプのりぼんちゃんは礼儀正しいけれど堅苦しいです。

そして、早熟タイプには同世代に先んじる優越感と追い抜かされる悲しみがあり、遅咲きタイプには一生花開かないかもしれない恐れと追い越す快感があります。

ただ、性質や仕事のやり方は一概にカテゴライズ出来るものではないので、みぞかちゃんとりぼんちゃんは、象徴というよりは、ケースのひとつです。

今回はみぞかちゃん&りぼんちゃん、二人のケースに沿って早熟な人と遅咲きの人についてのお話を進めていきます。

早熟な人は、無邪気さや自由な発想がある人が多く、逆に、そのことで周囲の人達、特に遅咲きの生真面目な人を振り回していることに想像が欠けていたりもします。

逆に、遅咲きの人は、礼儀正しくしっかりした技術を持つ人が多く、逆に、どうでも良い礼節に口うるさく、早熟な人の無邪気な振る舞いに必要以上に神経質だったりもします。

結局のところ、お互い無い物ねだりをして、強く反発し、それでも強く意識しあって惹かれあうのです。

みぞかちゃんとりぼんちゃんの関係が、お互いに大嫌いで大好きなのもそれ故です。

そして、最後に。

物語の中盤から結末にかけて、みぞかちゃんは少女から女になります。

身体の変化だけではなく、早熟すぎて存在しなかったサナギの期間に立ち戻り、自分の内面としっかり対峙をして、そして脱皮をします。

この過程について、上演時の演出では、有末先生に緊縛を施していただくことを象徴としました。

少女から大人になるための儀式としての緊縛は、畏怖ではなく、むしろ胎内にいるような安心感をイメージしました。

それは、みぞかちゃんの無邪気さや待ち望んだ「アレ」に対する期待感からくるものです。

女の子達の「アレ」に対するイメージは、それぞれの性格や心境によって全く違っていて、例えば、りぼんちゃんの「アレ」のイメージは、彼女の長い独白の台詞で語っている、強い意志で打ち勝つ孤独な戦いのようなものです。

アレがきた後、みぞかちゃんは、まっさらな新しい自分に生まれ変わったのだ、と確信し、纏っていた少女の膜を自分で勢いよく剥がします。

けれど、そこに現れた身体は、さらにまだ縄で縛られていました。

(舞台上では、みぞかちゃんが自分で緊縛の縄を外して、纏っていたろうけつ染めの布を取り去ると、その下にさらに緊縛が施されています)

みぞかちゃんは期待が裏切られたことに絶望してワンワン泣きます、これが、少女から女になることでの、みぞかちゃんなりの喪失です。

少女の時に過度に期待する「大人の女になりさえすれば、今の自分のコンプレックスはすべて解消される」というのが、幻影だと悟った瞬間です。

大人の女というのは、新しく生まれ変わるものではなく、少女の時の経験の積み重ねによるものだと気づいたのです。

そして、施されている縄と捨てたはずの少女の膜のおかげで、宙に舞うことが出来たのでした。

(舞台上では、緊縛で吊られて、ろうけつ染めの布を羽のように纏っています)

物語の終わり、早熟な少女は女になり、新天地へ旅立つ遅咲きの親友に、素直な気持ちを叫ぶのでした。

「りぼんちゃん、大好きよ〜」

おわり。

美貴ヲ

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■美術家/作家(演劇脚本など)■コント脚本提供 順風女子コント公演『春ベリー』3/13(金)~15(日)@しもきた空間リバティ■書いたり描いたりするお仕事をください!

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